[#0-27] 今まで答え・まとめながら考察

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本題

幽霊達に風船で質問している#0-27の答えをまとめ。簡単に解説しました。

考察

質問と回答まとめ

質問明治さん昭和さん
0.性別
1.人型風船左腕
2.何人2人
3.ここで亡くなった?いいえ
4.あなたは亡くなってる?はい
5.死因事故自殺
6.人を苦しめたい?いいえはい
7.欲しい物は?
8.生まれた時代明治昭和
9.山中をどう思う?好き嫌い
10.2人を応援している?はい
11.一番嬉しいお供えアメ
12.押し入れにカメラを置くのは?カメラが嫌
13.あなたにとって押し入れは?居場所
14.成仏したい?まだあなた達と遊びたい
15.あなた達の関係は?他人他人
16.お互いをどう思ってる?好き怖い
17.年齢は?わからない40代
18.風船を割るのは疲れる?楽しい
19.どうやって割ってる?口、手爪、念
歯、手
20.お札をどう思ってる?なにも感じない
21.お昼は何を?夜とかわらないここにいる
22.なぜ夜中に?人がいないから暗いから
23.今月のお供えリンゴお線香
24.赤い風船
25.姿を出せる?もう写しているもう写している
26.この建物に他の霊いない
27.どうしてこの部屋に?ここが好きわからない

今回はここまで

” 考察 ” に関連する情報

” 考察 ” 考察とはなにか 書き方とポイント 考察・結果・結論の違い

https://docoic.com/37327

考察の書き方で気をつけなければならないのは、結果の部分との違いを明確にすることです。

結果は事実を中心に書きます。一方で考察は結果を見て分かることを論理的に文章にしましょう。

考察を書くときにありがちなのが、結果に対する感想を書くことです。「思うような結果が出てよかった。」「予想した仮説よりも大幅に数値が狂ってしまったのが残念である。」などといった反省を考察に書かないようにしましょう。

考察は感想を述べる部分ではなく、結果から客観的に判断できる自分の意見を書く部分です。結果から新たに見える課題を書いてもよいでしょう。

” 考察 ” 幽霊 wiki

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BD%E9%9C%8A

幽霊の姿かたち、現れる場所、時刻
日本では幽霊は古くは生前の姿で現れることになっていた[9]。歌謡などの中でそうされていた[9]。江戸時代ごろになると、納棺時の死人の姿で出現したことにされ、額には三角の白紙の額烏帽子(ぬかえぼし)を着け、白装束をまとっているとされることが多くなった[9](■右の画像を参照)。

元禄年間(1688-1704年間)に刊行された『お伽はなし』では、幽霊はみな二本足があることになっていた[9]。しかし、享保17年(1732年)刊行の『太平百物語』では、幽霊の腰から下が細く描かれている。享保年間(1716-36年間)のうちに下半身を朦朧とした姿で描くようになっており、さらに時代を経ると肘を曲げつつ手先を力なく垂れる姿で描くようになってゆく[9]。こうように、江戸時代前期から中期を迎えるまでの間に、今日定型化されている日本の幽霊の造形(ステレオタイプ)が形成されていったと考えられる。もっとも、大田南畝が編纂した横井也有の俳文集『鶉衣』(天明7-8年〈1787-88年〉刊行)に「腰から下のあるものもないものもある」と書かれている[9]ことから窺えるように、江戸時代後期に差し掛かってもまだ完全には定着しきっていなかったと思われる。

また、日本の幽霊は、墓地や川べりの柳の木の下などといった場所に現れるとすることが多く[9]、丑三つ時(午前2時ごろ)といった特定の時刻に出現するともいわれている[9]。古くは物の怪の類は真夜中ではなく、日暮れ時(逢魔時、昼と夜の境界)によく現れ、場所も町はずれの辻(町と荒野の境界)など「境界」を意味する領域で現れるとされていたが、江戸時代を通じて現代にまで及ぶステレオタイプが形成されたと思われる。